私の住んでいる国マレーシアは、マレー系・中華系・インド系の三大民族を中心にさまざまな民族が各々のアイデンティティを強く持ちながらもひとつの国として成り立つ多民族国家。そのため街にあふれる人々の言語や宗教信仰も様々で、あまり宗教観なく日本で大人になった自分にとって、この国の文化は大変興味深いものです。
中でも、マレーシアの国教でもある「イスラム教」。マレー系を中心に国民の約61%がイスラム教徒であると言われています。
”イスラム圏の国は猫にやさしい””イスラムの人は犬嫌いで猫好き””マレーシアで猫は飼いやすい”
色々なところでこのような情報を目に耳にします。
実際マレーシアでは猫を飼っている家庭も多く、身近な例でいうと、ペットショップでは日本と違って犬より何倍も猫グッズを全面に押し出していたり種類が充実しているため、そういうところでも実感することができます。
他にも街の野良猫たちをかわいがり、エサを与える人々の多さ。あちこちに猫の置きエサや置き水も見かけます。日本だと「無責任にそんなことするな」と怒られそうなことですが、街の人達も皆嬉しそうに野良ちゃんたちにも優しく接しているように感じます。
こんなにも猫フレンドリーな理由は何故なのだろう?と疑問に思ったので少し調べてみました。調べた内容を簡単にまとめてみましたので、興味のある方はぜひ。(私個人の感想と心の声が途中入りますので悪しからず・・・)
イスラム教で伝承されてきた猫に関する逸話たち
預言者ムハンマドの猫への愛の教え
イスラム教の創始者で預言者のムハンマドは「ネコへの愛は信仰の一側面である」という言葉を残しているほどの愛猫家だったそう。当時から猫を殺すことやいじめることも強く禁止し、猫を家族の一員として一緒に暮らすことを強く推奨していたそうです。
当時猫が苦手だったある女性が、外に猫を放つのを見られるとまずいため、家の中の倉庫に猫を閉じ込め飢えさせて殺そうとしていました。いわゆる猫への虐待です。しかし何者かに密告されてしまい、彼女はその後拷問の刑を受け地獄に落ちたと言い伝えられています。
なんだか日本の江戸時代の「生類憐みの令」に近い感じだね。経済的な理由やアレルギー体質などで猫を飼えない人もいるわけなので、そんな理解も無かったかもしれない時代。本当のところはどうだったんだろう…
愛猫ムエザの存在
ムハンマドが飼っていた猫の名前はムエザ(Muezza)という名だったそう。
ある日ムハンマドが礼拝に出かける前、着るはずの服の袖でムエザがぐっすり寝ていました。彼はムエザを起こさないよう、その服の袖部分を切り落とし、自分は片袖のない服を着て礼拝に出かけます。
そして礼拝から帰ると、ムエザは目を覚まし会釈して出迎え、ムハンマドはムエザを3回撫でたそう。また、ムハンマドが人々に教を説く際も時々ムエザを膝の上に乗せていたという。
なんて尊すぎるエピソード・・・!愛猫の睡眠のために礼拝服を切り落としてしまうほどの猫愛…同じ愛猫家として、私にはまだ修行が足りないようです…
そうだ、全然足りてにゃい!
猫友アブ・フライーラの猫
ムハンマドの親友、アブ・フライ―ラは外出時いつもかばんに相棒の雄猫を連れ常に一緒に行動していました。
ある日ムハンマドが彼らと一緒に居たときに、現れた毒蛇がムハンマドに噛みつこうとします。その際とっさにアブ・フライーラの猫がその毒蛇を噛み殺し、ムハンマドを守ったそうです。
ムハンマドは自分を助けたアブ・フライーラの猫の額と背中を、感謝の気持ちで撫で撫で。
すると猫の額にMの縞模様が現れ、さらに猫は反射神経の能力を授けられたと…!そのため額に縞模様のある猫は、ムハンマドの指が触れた証と信じられているそう。猫が背中から落ちたりしないのも、背中を撫でられた際に能力を授かったからと言われているそうです。
ちなみにアブ・フライーラの名は、ムハンマドから与えられたニックネームで「子猫の父」を意味する名前なんだそうで。
うちのジニーにも額にMの縞模様。だから、個人的にもなんだか嬉しくなったエピソード。
ネズミを捕えてコーランを守る猫
アブ・フライーラは「猫は家の中で、(コーランや本をかじる)ネズミを捕獲する能力があり、それは人々にとって役に立つ存在である証である。礼拝時に家の中やモスクの中にいても何ら問題はない」と人々に語っていたそう。
確かに、ネズミは雑食なので食べ物だけでなく紙や本もかじりますよね。きっと当時の貴重な紙類や神聖なコーラン本をかじる被害を受けていたのでしょう。
そんな悪の存在であるネズミを退治してくれるのですから、やはり猫は信者たちに愛されたのでしょう。
イスラム教のみならず、猫はネズミを捕えるからこそ人間に好まれ共生してきた歴史が世界の様々な国や地域で報告されてるよね。そんな歴史を思うと、今日の私たちの猫との暮らしもなんだか感慨深い。
自分で自分をきれいに保てる猫
猫は、自分で自分をなめてきれいに保つ動物です。その習性がイスラム世界にも好まれた要因のひとつと言われているようです。
ムハンマドは、猫の飲んだ水で沐浴もできる、猫と同じ皿で食事もできる、それほど猫は清潔で神聖な生き物であると人々に説いたと言われています。
つまり猫は、清潔であり神聖な生き物。だから皆で愛をもって接しましょう。という教えのもとで、イスラム教にとって神聖な祈りの場であるモスクへの出入りも自由に許されているのです。
自分で自分のおしりもなめて綺麗にする。何なら仲間のおしりまで綺麗にしてしまう。
そんな清潔であり仲間思いで慈悲深い猫たちから、人間も学ぶべきことがあるなと。(深い。)
犬は不浄?近年は少しずつ変化している
犬についても少しだけ触れておきます。イスラム世界では動物にも浄・不浄が分けられており、豚が不浄に分類されているのは有名ですが、犬も豚と同様に不浄と分類されているためにイスラム教信者にはあまり好まれない傾向があります。
コーランの中では、欲望にかられる人間について「犬のようだ」と表現したり、「あなたが犬か豚に変えられますように」というのが最大の侮辱として使われるほどの扱いよう。
しかし近年では、世界に拡がるイスラムの国々や信者の方々もグローバル化による価値観の変化や多様化により、犬に対する考え方やとらえ方も徐々に変化してきているようです。
現に、私もジニーを迎えた保護施設で、たくさんの保護犬たちと楽しそうに戯れながらお世話・ボランティアしているマレー系マレーシア人達を目にして「きっと犬への考え方や接し方って、信仰や教えがありつつも、その人の置かれた環境や信念、人それぞれで違ってきているんだろうな」と感じました。
マレーシアは多民族国家だからこそ尚更、今後少しずつでも、犬の立ち位置は変わってくるのではないかな?とは言えやっぱり道端の野良犬は怖いので、野良犬問題がもっと早くどうにかなると良いな…。
まとめ
イスラム教に関する文献や記事を調べていくと、猫に関するエピソードが次から次へと出てきて、昔から猫が人間とともに暮らしてきた歴史を感じつつ、イスラム教のなかで愛されている理由が少しずつわかってきました。
もちろん全てのエピソードが真実かどうかはイスラム教徒の中でも異論もあるようですが、猫愛溢れるエピソードを見ていくと、イスラム教信者の人々にとって「ネコへの愛は信仰の一側面である」ということはつまり、ただ単純に可愛がっているだけでなく、信仰としても神聖な存在なのだということがよく分かりました。
ほんの一部ですがイスラム教と猫の歴史や宗教の教えを垣間見たことで、またひとつ勉強になりました。
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